庭日記

 こんにちは。長野亮之介です。僕が住む東京の小金井市では、梅雨の最中なのに今日(6/15)は雨も降らず、湿度と気温が高くて真夏のような一日でした。飼いネコたちが早くもバテバテの様子。まだ冬毛が抜け切ってないから、暑いだろうな。ネコたちの親であり、僕の大切なパートナーだった長野淳子が亡くなったのは二年前、2018年の6月18日でした。あの時は梅雨らしくシトシトと雨が続き、気温もこんなに高くなかったような気がします。
 今年の命日は、法要用語では《三回忌》というそうです。丸二年経った命日なのに「三回」って、ややこしいですね。人は亡くなると、十回の審判を受けるチャンスがあるという儒教に基づいた考え方に沿っているとか。四十九日まで七日に一回で七回。そして100箇日、一周忌、三回忌で10回。生前の行いが良い人は7回までに審判を終えるそうですが、そうでなくてもチャンスがあと三回ある。三回忌はその最終トライアル。冥界の裁判官たちはなかなか忍耐強いようです。行いの良かった淳子はきっと、とっくに天界に行っていると思うのですが。

 淳子を偲ぶため、亡くなった年の秋に《ズットスキダ展》、昨年の命日には《J・風そよぐ庭から》という小さな個展を開催しました。会場は阿佐ヶ谷のカフェギャラリー【ひねもすのたり】。オーナーのサチコさんは淳子共々30年来の友人です。「今年もやりませんか?」とお声をかけていただいたのですが、思いもよらぬCOVID19で予定が狂いました。代わりにといってはなんですが、我が家にちょっとだけ絵を飾ろうと思います。個展とはとても言えないもので、個人的な法要みたいなものかな。淳子の葬儀はお坊さんも呼ばない人前形式だったし、今回も一般的な法要はしないので。一応タイトルを付けました。《J・・蝶たちの通う庭へ》といいます。昨年のミニ個展の《J・》を踏襲して、《J・・》というのは、いつも一緒に個展を作っている相棒のマルヤマさんのアイデアです。

 淳子が愛した我が家の庭には、蝶道(ちょうどう)があり、毎年この時期になると同じようなコースをひらひらと黒いアゲハチョウが舞います。庭にはサンショやミカンなど、アゲハチョウの食草である柑橘系の樹木が有るからでしょうけど、その優雅な姿を見てると、どこか幻想的。何だか異次元空間から現れるようです。奄美大島では蝶を先祖の魂の化身と考えると、島出身の友人から最近伺いました。そんな話を丸山さんとしているうちに決まったタイトル。僕の個展タイトルはいつもこうして丸山さんとの雑談の中から生まれてきます。

 実を言えば、ハガキに載せた絵を描いている時はまだタイトルが決まっていませんでした。絵は9割方できた段階でしたが、何かが足りない。コイの上に乗っているネコの目線が収まらないのです。ところがタイトルが決まった時に、「そうか、ネコは蝶を追っているんだ」と気づきました。蝶を描き込んでみると、ぴったり収まって見えました。こういうの、なんと言う現象なんでしょうか?不思議です。

 前述した奄美出身の友人というのはイトウさんと言うイラストレーターの方です。昨年末に、沖縄の浜比嘉島でお目にかかりました。淳子が大好きだった海に散骨をしたのですが、その際イトウさんにはいろいろとお世話になったのです。散骨をしたその日に帰る予定だったため、那覇へのバス停までイトウさんに送っていただいたのですが、道中の車内に蝶が飛び込んできました。運転をしていたイトウさんが当たり前のように「あれー、淳子さんが挨拶に来たよー」と応じます。パートナーのヒロミさんは、「長年ドライブしてるけど、チョウチョが飛び込んで来るなんて初めてよー」と驚いてます。蝶はしばらく車内を舞い、やがて外に出て行きました。そのとき、“魂の化身”の話を聞いたのでした。淳子は亡くなる前に、『(これからは)私は天にいるよ』と言いました。天にいて、僕やネコどもを見守り、時々チョウチョになって、近くに来てくれるのでしょうか。この梅雨時もひらひらと舞っています。