6月19日午前1時35分。今しがた帰宅したところです。本当はもうちょい早く帰れるはずなのに、寝過ごして気がつくと国立駅。慌てて乗り換えて登り最終電車にギリギリ間に合ったものの、最寄り駅の一つ手前までしか行かず、一駅歩いての帰宅でした。
6日間の「J. 風そよぐ庭から」展、今日で終了しました。お越し頂いた皆さま、また、お心遣いを頂いた皆さま、ありがとうございました。世間的な一周忌の法要というものをしませんが、この6日間が僕にとっては法要でした。今日来てくれた友達が、「むかしはこういう風に何日も死者を弔うような集まりが有ったんじゃないですか?」といっていましたが、冠婚葬祭で宗教行事が一般的になる前は、婚礼とか葬式など、何日もかけて人が集まる風習があったと聞いた気がします。今回の「個展」と称した集まりは昔ながらのいい供養の場だったんじゃないかな?と自分では納得しています。つくづくこの会を提案してくれた友人で、会場《ひねもすのたり》のオーナー、幸子さんに感謝しています。
昨日はあまり訪れる人が多くなかったし、なんと言っても平日昼間ですから今日も静かな一日になるかなと思ってた。案に相違して、大勢の方が来てくれました。会場には12人くらいで囲める大きなテーブルと、4人掛けのテーブルが二つあるのですが、そのテーブルが程よく埋まるくらいに10人くらいの人が来て、皆が座っている一時がありました。僕だけが立っていると、あたかも教室で講義をしてるような感じになります。ちょうどレーザーポインターも持っていたので、突発的にギャラリートークをしました。個展ではいつ何人くらい来るかはほんとうにわからない。10人いたとしても皆が座っているとも限らない。6日間の会期中、こうして10名が皆しぜんに座っている状況は初めてでした。僕はかつて大学で非常勤講師をしていた事があるので、意外とこうした場面で話をするのは慣れています。若いときは苦手だったんだけどね。《面の皮が厚くなる》というのはメタファーとして秀逸な表現だと思います。じゅんこの庭の説明や、絵の説明などを皆さんの前でしました。その場にいたのは、じゅんこが勤務していた学校の元校長先生、高校時代の友達、僕の大学の後輩や和太鼓の仲間、地平線会議の仲間など様々なジャンル(?)の友人知人です。こんな多彩な人たちの前で話している自分が不思議でした。じゅんこのおかげですね。
本日は18時半閉廊予定でしたが、ギリギリに来てくださる方が続き、最後のお客さん(ワラ細工の友人です)がお帰りになったのは19時半でした。それから撤収開始。手伝ってくれる人が大勢いたので1時間弱で作業終了。ネーサン、カズヤさん、ヤマさん、タケダさん、ゼンちゃん、いつもながら事前に根回ししてお手伝いをお願いしていないのに、こうして来てくれる友達に感謝するばかりです。作業終了後、買い出しをして打ち上げに突入しました。ヤマさんが持ってきてくれた桧原村の鹿肉も花を添え、じゅんこをしのびつつといいながら、文字通り世界を胯に懸けて活躍するメンツが多いだけに話はどんどんいろんな方向に広がっていきました。宴会から参加してくれたのはクシマさん、アヤちゃん、カナちゃん、オバラくん、リュウイチロウさん。あらたに人が来てくれるたびに「献杯」をしました。最後の献杯をしたのが11時半頃になります。
じゅんこは一年前の6月18日午後11時8分に息を引き取りました。自宅で最後までという本人の希望通り、自宅のベッドで亡くなりました。それまで危篤状態の一週間、じゅんこの妹のアヤコちゃんと僕が二人で毎日交代で寝ずの番。その日もじゅんこの様子はそれまでとそう変わらない様に見えたので、《今日も同じような夜になるね、朝まで大丈夫だよね》と二人で話し、そろそろ寝ようと思ったころ、急にじゅんこの息が乱れ始めました。二人でじゅんこを抱いて見守るうちに息の間が長くなっていきます。何も考えられず、ひたすら彼女の顔を見つめていました。この期に及んでも亡くなると思っていなかった。やがて最後の息を長く吸い、彼女の魂は静かに天に昇りました。この時僕は、「人は最後に息を吐くんじゃなくて、吸うんだ」と思った覚えがあります。《息を引き取る》というのはこういう事かと思いました。変な記憶ですね。それからはてんやわんやです。親族への連絡、医師に拠る死亡確認。医師が確認した公式な死亡時刻は11時30分ちょっと前だったと思います。葬儀社に遺体の処置の依頼や明日以降何をしたら良いのかの相談。すでに真夜中の時間帯ですが、お世話になっていた緩和ケアの看護士さんたちが来て送りのための化粧や死に装束への着せ替え、葬儀社の方が来てドライアイスの準備、エトセトラ。そして翌日から葬儀の日程など怒濤の日々が続きました。
あれから一年。怒濤の日々から始まった僕の一年はずっとじゅんこを追悼する行事をやり続けてきた気がします。6月23日の通夜、24日のお別れの会自体が、400人が集まった大きなイベントでした。7月と8月にはじゅんこの庭プロジェクトの作業があり、延べ50人以上の友人たちが関わってくれました。お盆には山仕事の仲間とじゅんこの野辺送りの会。9月1日のじゅんこの還暦祝いの前後には個展《ズットスキダ展」を行い、10月は地平線会議の40年祭でじゅんこを追悼する品行方正楽団の演奏会がありました。バンマスの僕は楽団仲間と練習を重ねて舞台を務めました。11月と12月には《五反舎ハナタレ組》という劇団でじゅんこの追悼公演。じゅんこの生前のアイデアを芝居に書きおろした演目を友人たちと公演しました。明けて1月はじゅんこが臨んでいた庭の竹垣再生プロジェクトを延べ40人ほどで達成。2月にはじゅんこが自ら依頼したベランダと縁側の工事>完成。3月は京橋のギャラリー、メゾンドネコで個展「猫翳礼讃」開催。4月は三週連続でお花見。昨年のお花見時期はじゅんこがまだ元気で一緒に花を見た事を偲びました。5月はじゅんこもなじみになっていた会津喜多方での堰浚いボランティアに参加し、事の顛末を報告。そして今回6月の「J. 風そよぐ庭から」展です。繰り返しますが、友達と猫と庭に支えられた一年でした。ありがとうございました。