祥月の集い、終わりました

そよぐ風の日記

今日も午前さまです。先ほど1時半帰宅。本日おいでいただいた皆さま、本当にありがとうございました。晴れた日曜日、口開けのお客さんは太鼓仲間のナシキさんでした。本業は映画の仕事をしている人なので、どこか同じ匂いを感じる友達です。普段は太鼓の練習場でしか会わないけど、いつもとは違う場所で出合うと話題も変わります。映画「ROMA」の話題が新鮮だった。今日は僕の母校、都立三鷹高校の仲間が大勢来てくれました。じゅんこの同級生が4名、僕の同級生が5名、そして恩師のサイトウ先生。みんなが示し合わせてきたわけじゃなく、これもシンクロニシティ。サイトウ先生とは高校卒業以来の再会。同窓の別の友人が個展の事を伝え、ご自宅が会場に近いので来てくださったのでした。担任ではなかったので、まさか俺の事など覚えてないだろうと思ったけど覚えていた。40年以上前の何百人もの学生の一人一人を覚えているってすごい。「また個展があったら知らせてね」という言葉が嬉しかった。そのあと、じゅんこの教え子が来てくれました。僕らが結婚して間もない頃の教え子なので、やっぱり30数年前の生徒さん。もちろん初対面だけど、こうして来てくれるのが嬉しいです。先生と生徒の縁は深い。

夕方18時からは、じゅんこの命日を偲ぶ《祥月の会》となりました。今回の個展の目的でもあります。集まってくださったのは約30名ほど。お店の普段のレイアウトではキャパ20名ほどなので、テーブルをパズルのように動かしてスペースを作ります。昨秋のじゅんこの還暦の会のときは50名が来て満員電車のような混雑だったけど、今回はちょうど良い賑わいでほっと一安心。会場にはじゅんこの大きな遺影(60㎝×90㎝の電飾つき額入り)も飾りました。個展を企画してくれたオーナーの幸子さんの挨拶でスタート。「亮之介さんを心配してたけど、元気そうだから、こうして場を作る私の役割もそろそろ終わりかな」と。そんな事言わずこれからも背中を押してください!じゅんこが整体でお世話になった医師のセキノさんからは、献杯のコメントで「じゅんこさんは死ぬ事を恐れていなかった。普通はああいう風にふるまえない」というお話を。確かに彼女は最後まで強かったな。今日は泣くつもりはなかったけど、ぐっと胸が詰まる場面が何度か有りました。しばらくの歓談の後に映像でじゅんこの庭作りの説明が始まります。じゅんこがねーさんと呼んで慕っていたホンジョさんが「じゅんこの庭プロジェクト」をどういう思いで続けているかを語ってくれました。庭作りを指導してくださった庭師のヤノさんは、《地中の空気と水の流れを良くすれば、地上の植物は生き返る》という方針を信念を持って実践しています。ホンジョさんとは長〜い付き合いの職人さん。実はじゅんこが病気になるずっと前から《ヤノ君にこの庭を見てもらいたい》とホンジョさんに言われていたのでした。こんな機会に実現したのもじゅんこの作った縁なのでしょう。庭作りに対しての思いを語るじゅんこの秘蔵映像も上映されました。亡くなる一ヶ月前、ベッドサイドで語る彼女を記録してくれたのはアキちゃん。映像ディレクターとしての勘で「この記録は残したい」と撮ってくれた動画は僕もあれから初めて見るものです。「子供の頃から育ったこの家と庭が大好き。自然に溢れているけど、このままだと自然災害のときに近所に迷惑をかけちゃうのが心配だから、なんとかしたい」。一目見て胸が詰まったけど、しっかりと語る姿は美しくてカッコ良かった。本当に強い人だった。じゅんこが亡くなったのが6月18日。ヤノさんの指導のもとに実際の庭改造作業を行ったのが7月1日。映像作家のマエダさんが記録してくれた作業の様子も続けて上映されました。葬儀のわずか一週間後の事なのに、映像の中の自分が普通に振る舞っているようなのが不思議。いまもそうだけど、じゅんこが心の中にイキイキと生きているから彼女の不在を実感してないんだろうな。毎日彼女の遺骨と遺影の前でお線香を上げていてもこの世にいない気がしない。どっかに旅に出てるような感じです。

自分ではゼッタイできないこうした記録を撮っていただけたのは本当に貴重。いい短編ドキュメンタリーを見たような気持ちでした。最後に、参加してくださった方々全員を僕が紹介して一言コメントを頂いて散開となりました。予定では8時半終了のはずが、1時間もオーバー。散会後も10名ほどが残って結局店を出たのは12時半頃。こういう事ができるのも長い付き合いの友人、幸子さんのご好意のおかげです。感謝。

▲サチコさん

▲セキノさん

▲ねえさん

▲ベッドサイド

▲ギャラリートーク

Posted by 亮之介長野