終わりました。ありがとうありがとう。

9月25日(日)

終わりましたー。ハナタレ展、ついに、今日。来てくださった皆様、ありがとうございました。ようやく毎日千駄ヶ谷に通う日々に馴れて来たところで終わりです。なんか寂しい気持ちも少々。ギャラリーヒッポは手頃な大きさで、なんだか自分のお城みたいな気分でしたから。始まる前は、近くを散歩したり、本を読んだりいろいろ出来るかなと思ったけど、皆さんが続々と来て頂いた御蔭様で、ほとんど暇がありませんでした。結局ハチ公バスも一回も乗らなかったし、トイレが面白いと言うカフェにも行ってないなあ。先ほど数えたところ、10日間で約250名の方が来てくださいました。延べ人数だともう少し多いと思います。懐かしい友人知人からいつもお世話になっている仲間達や先輩方にいつもと違う場所でお話しできて嬉しかったです。また、読売新聞に連載している「銀幕一刻」の読者という方に何人かお会いできてすごく感銘を受けました。普段原画を直接見るのは担当記者だけで、その際に感想などを言っていただくわけでもないのです。だから、読者の方から感想等を聞くのが新鮮で嬉しいのです。最終日の今日も読売読者で銀幕ファンとおっしゃる方がお二人見えました。どちらの方も、銀幕一刻を本にして欲しいとおっしゃってくれましたが、僕も欲しいです、その本。

今朝の一番乗りは個展開催前の準備から何から何までお世話になりっぱなしのYIちゃんでした。初日オープンにも立ち会ったので、クローズにも朝から立ち会ってみようかなといって来てくれました。お客さんの口開けは茨城県から夫妻で来てくれたAY。大学時代、下宿で同じ釜の飯を食った仲間です。彼の記憶では、僕は学生時代から映画雑誌にスターの似顔絵等を投稿し、それが掲載されたのも数度見たと言うのです。僕は全くその事を覚えておらず、そう指摘されても記憶がよみがえらない。僕の灰色の脳ミソは、全く駄目な記憶装置と言うか、貧弱な記憶容量と言うか、そんな大事なことを覚えてない事にショックです。でも彼と作った8ミリ映画の事を話したら彼は覚えてなかったけどね。

会場入口にて

会場入口にて

高校時代の仲間達も沢山来てくれました。カミサンの友人達をはじめ、高一の同級生、高三の同級生。カミサンも同じ高校の同窓なので、共通の友人が多いわけです。遠くに住んでいると思っていたSKが来てくれたのはビックリ。高校時代は陸上部。一見コワモテの、実は優しい男です。実は数年前から戻っていたと聞き、そういえばそんな気もする今日この頃。お嬢さんも同じ高校に進学していると聞き、時の流れを感じます。大学映研の先輩MK夫妻、同期で最近はマラソン仲間のSJも御夫妻で。この会期中はずっとそうだけど、なんだか、間口の広いクラス会を延々やっているよう。なかなかあり得ないシチュエーションです。

今回展示した絵の中で一番新しいのは、ギャラリー奥に飾っていた屏風絵ですが、これはお芝居の小道具。「座敷おやじ」というその舞台主演者の一人、T師匠も来て下さった。僕の住んでいる町の隣町にお住まいで、一度ジョギング途中に偶然お見かけしたこともある。舞台での粋な着物姿しか拝見した事がなかったので、師匠にも日常生活があるんだと当たり前の事にちょっと感動した覚えが。

「望星」という雑誌に描き続けている表紙絵も展示していましたが、この雑誌の前編集長であり、地平線会議の先輩OTさんも御夫妻でいらしてくれました。まともに社会人を勤めつつ、実は長いスパンで密林の古代遺跡を探る探検行を続けているOTさん。ヒゲは白くなったけど、最初にお会いした頃から目の輝きが変わらない。同じく地平線会議の先輩で北極圏探検家のKNさんも同じ時間帯にご来場。不思議と同じ世界の人が同じような時間にい合わせるようで、お二人が来た時に、地平線会議創設の立役者の一人、KMさんとK美さん御夫妻がいらしてました。この夏カナダとアメリカを二ヶ月間旅して今月上旬に戻ったばかり。恐竜の化石発掘現場を視察したり、ユーコン川沿岸の村を尋ねたりと充実した旅の模様。僕が30年前に尋ねた村のあたりも歩いていらしたそうで、懐かしい。”ヒグマの息(BREATH)入り”という(もちろんジョーク)ハンドクリームをオミヤゲにいただく。地平線仲間ではネパールに通うTKさんや、謎の情報通FW氏の姿も。裏方でお世話になっているSA御夫妻は北海道から帰って来たばかり。若手のYT君も自転車で颯爽と現れる。彼は工業デザイナーで、自分でデザインした無線機を持っていた。いろいろ制約がある厳しい世界だと思うけどカッコいいなあ。彼が最近地平線通信に発表したサバイバル山登りの手記がなかなか感動ものだった。モノづくりの人間と探検冒険が結びつくのは面白い。というか、必然的にそうなるのかも。

今日の最大のサプライズはC県からいらしたKYさん。僕が7年前に取材をさせて頂いたN県のWRさんの娘さんだ。WRさんは当時80代を越えてなお矍鑠として山作りに励む林業家。その後連絡は取っておらず消息は聞いていなかったのですが、米寿を迎えてまだまだ元気に山に通っているとKYさん。僕の描いた似顔絵を拡大コピーしてご自宅の居間に飾り、お客さんとの話題に供していると話され、写真も見せてもらいました。僕のようなマイナー絵描きの仕事も少しは誰かのお役に立てる証拠ですね。エエ話やなー。WRさんにまたお会いしたくなった。とても頭の回転が速く、お話が面白い方と記憶してます。

そのWRさんの似顔絵を表紙に描いた雑誌「林業新知識」の当時の編集長MT君が、そろそろ日が傾きかけて来た頃にご家族で来てくれた。搬入のときも貴重な夏休みを使って手伝いに駆けつけてくれたので、今回は遠慮して手伝いのお願いをしていなかった。でもそのつもりで来てくれたんだね。このあとの搬入では勝手がわかっている彼の存在がとても大きかった。ギャラリークローズの間際になるとお手伝いをお願いしたパントマイマーのFちゃん、高校友人のKちゃん、今回アーティストデビューしたスーパースタッフのYIちゃん、そしてカミサンも勢揃い。強力助っ人のMT君に加え、終了10分前にお客さんとして駆け込んで来た山仕事仲間のSK君とKAさんを巻き込み撤収作業開始となりました。作業が始まってから来たお客さんがさらに一人。一時期結構長い間一緒に仕事していたSJさん。自然保護NPO等の仕事も多いライターで、外見は飄々としていながら、頭の回転が早く舌鋒は鋭い。撤収作業でばたばたした中をくるっと見て回って、じゃあまたねと去って行った。10日間の「ハナタレ展」最後のお客さんは彼女でした。さすが押さえどころに現れます。

搬入の時は7時間くらいかかったけど、撤収の人数も多いせいもあってあっという間に1時間ばかりで車への積み込みまで終了。ガランとしたギャラリーの中で記念写真。お越し頂いた皆様、手伝ってくれた大勢の友だち、そしてギャラリースタッフの加藤さんと美和さん、ありがとうございました。

自宅間での道も空いていて順調。途中借りたものを返しにMJさん宅に寄ったところ、お客さんに来ていたパキスタン在住のWAさんとお会いした。以前地平線会議で報告をして頂いた時に似顔絵を描いたのだが、ご本人に会うのは初めて。最後までいろんな人に会う。帰宅後Kちゃんのプリウスに満載した荷物もあっという間に運び込んですべて終了。Kちゃん最後までおつきあいありがとう。この長ったらしいブログに最後までおつきあい頂いた皆様もありがとうございました。毎日書くのが大変でしたーーー。どっとはらい。

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